コンフィチュール の陳列棚
ラボで作業していると、結構たくさんの人が瓶を手に取ってみてくださっている光景を見かけます。
正直なところ、購入に至らないことの方が多い気がしますね。
どんなんだろう?って完全に興味本位で物色←言い方よ。
でも、この注目度は喜ばしい事でもあるのでしょう。
5月以降、概ね林檎の季節までは断続的に何かしらのアイテムが陳列棚を賑わせる事と思いますね。
今現状、ブルーベリー、マンゴー、さくらんぼ、杏子、白桃、ベリーミックス、ゴールドキウイ、アグリュム(柑橘類)などなど。
最近はコンフィチュール ひとつひとつに対して問い合わせの多い、「どの様に食べるのがオススメですか?」という解説を含めた説明文を添えています。
どうしてもコンフィチュール というのは西洋文化なものですから、日本人にとっては少し馴染みのない食べ合わせ、食材などもあります。
自分自身、食べることは当然好きですし、「はじめて」に対しての探究心も人並み以上にあると思います。
食というのも、経験によって成り立っていると思いますし、そう信じて止みません。
そんな偉そうな事言ってますが、まだまだセオリーの枷を外せない自分もいたりします。
解説文は掛け紙の内側に貼り付けてあります。
過去のコンフィチュール の投稿などでも詳細に記した記事などもあったりしますので良ければ検索してください。。
宇和ゴールドとミルクジャム
宇和ゴールドは文旦の血統を受け継いだ、柑橘のひとつ。
グレープフルーツほどの苦味は無いとの謳い文句ですが、まあまあなもんだと思いますね。ワタ部分も含め、香りも苦味を感じさせるニュアンスを纏っていると思います。
素材として、糖分が多過であることを受け付けない。という事です。素材としての特性ですね、甘みを簡単に受け入れてしまっては素材の持つ特性を否定してしまうのかな?などと勝手に解釈しました。(糖度を上げる作業を試みましたが→グラニュー糖を加えるなど)
結果、ブリックスは概ね52°ほど。これ以上の変化、つまり糖上げは適切な作業ではないと判断しました。
加えていうならばコンビネーションさせるミルクジャムもブリックス52°に合わせる。という作業なのです。
至極簡単なことを説明します。セオリーというものがどこの世界にも存在していて、ミルクジャムとはブリックス60°に仕上げる。という暗黙のルール。主にそれは保存性と、美味しい称される在るべきカタチのようなものです。練乳のような多幸感と罪悪感が隣り合った様なアクマスイーツ的な。。。
もしかするうと、ペクチンという凝固剤の、これまた固定概念にも似た、糖度が高くないとペクチンが正常な働きをしないのではないか?といったところ。
正確に言うと、ペクチンが糖に対して適正な粘性を持たせるという事。
(余談ですがペクチンはむしろ酸やカルシウムなどと反応しやすいです。)
糖上げの話に戻りますが、実際の経験でしか語れないことをブログで書くことが多いのですが、例えばレモンの糖度を上げるのは簡単ではないという事。砂糖を加えても糖度が上がらない。ここにバター、たまご等、いろんな副素材が加わると話は変わってきますが。。
余計なものを加えず、純粋に今回のように糖度をあげたい、甘くしたい。それが適わない。その時、ようやく素材のあるべきカタチに寄り添う柔軟さに気付けます。
保存性の問題よりも美味しさの最適なカタチに自ずと成る。ということです。もっともっとわかりやすく言えば、レモンが「酸っぱい」から「甘酸っぱい」に導くのはむしろ我々の職責に感じます。
ただ、保存性のため「砂糖をぶち込む」(不適切な表現ですがお許しを)は理に敵っていないわけです。
なので、このコンフィチュールは、他のアイテムよりも賞味期限は短めの設定になっています。何故のコンフィチュールなのかと問いただせば、加熱による濃縮による凝縮のなせる旨みの訴求だと思っております故。
最近は理に敵っている。改めてその理の大きさに感服することも多々ありき。
イノベーション、という前衛的さも重要ですが、リノベーションという理に則った肉付け作業も、美味しいの裏付けさの重要性というか、余念がないというか。見直している最中の様な感じですね。
ジャムが保存性の兼ね合いでブリックス (糖度) が高い=日持ちする=日持ちさせないといけない。
そんな固定概念図も取っ払って考えれば、販売期間を短くすれば良い… 加熱濃縮で美味しさを引き出す。という工程でコンフィチュールというものが生まれます。いま一度そのポテンシャルに触れてもらえる機会があれば是非。という思いで解説してみました。
最近もっぱらスルメの様に隅々まで味わっているのが、Cö shu Nie
何かを生み出したい、ちゃんとそれに対して理由を持たせて、等身大で在って…人間味がすごくて、ギリギリなところも。
アーティスティックだけど、純粋に初めてこの曲をPVで聴いて、転調もそうだし、「音楽になりたい」と申した監督(vo.中村未来の愛称) そうですね。純粋にそこが根底にあるのが何事においてもゼロから始める時の原動力ですものね。
話しを巻き戻すと、イノベーションが出来ない自分に少しもどかしさがある時期がありました。
新しいって、ワクワクするんですよ。
どんな完成系になるのかな、ある意味流れに任せながら自分の受けた刺激が人との出会いであったり、素材からだったり、音楽だったり、ホント何処から湧き出るインスピレーションなのか。
自分の感性が枯渇したか?とは思わないのだけれども、この春、とあるお菓子屋さんを訪れて食べたケーキが、とてもやさしさに溢れていて…
ああ、いいなぁ。って素直に思いましたもん。
それって、お店の雰囲気もそうだし、その人そのものが醸すオーラだとも思うのです。
イノベーションが複雑怪奇、とも解釈できちゃう、今の多様性にも疑問を抱いてる自分がいるからなのかは謎ですが、今あるお菓子たちには、食べていただいた時に、「沁みる」ような存在になれないかな?と切に思う様になっています。
イノベートするアーティストが、Reolちゃん
素直に共感できるアーティストがCö shu Nie。
共通していることって、とても日本人であることを大切に素直に表現しているところ。
洋菓子って単語が薄れつつあるなかで、パティスリーという表現はせずに、ケーキ屋という呼称にこだわっていた自分ですが、今後は洋菓子屋。というスタイルを推す様に感じてます。
どういうこと?ということには言及しないですね、それくらいの捻くれは持ち合わせておきたいものですし、やさしくなりきれないのはやはり自分の向上心の妨げになるのではないかとの一抹の不安でもあるとご理解いただけますよう。
適度に飄々とすることも大切なのかも。
書きかけでストップしているブログ記事も複数あります。それらも飄々とアップできたらなぁ、と思っております故。
猛暑の折、皆様もお身体に気をつけてお過ごしくださいますよう。